名古屋古流凧の範囲 【凧大百科】=1997.12月発行 著者・比毛一朗(株・美術出版社)】
「名古屋の紙鳶(しえん)」【香魚市人、{文芸倶楽部}八巻一四号、博文館、明治三十五年)によると、
(名古屋の凧)
紙鳶〈凧〉といふと、何処の里でも春の景物になって居るけれど、名古屋の紙鳶は季節に関係せぬ、烈々たる炎威焼くが如き日でも、凛烈たる寒風肌を劈く時でも、紙鳶の風筝を聞かぬ時は無い、甚だしいのは夜更けに提燈を點(灯りをともす)して、上げている連中もある。
どうしてこんなに流行するかといふと、名古屋は紙鳶の本場で、到底他国で作ることの出来ぬ精巧なものを作る。
日本国中津々浦々で揚げている紙鳶も、少し精巧を極めたのになると、多く名古屋から輸出〈他の地域に売りだされた〉したのだ。近頃は名古屋紙鳶といふと、何処の里でも持て囃される。
記者が子供の頃は、城下幾千の士族が家禄は無くなる、貯蓄の金は無いといふので、荒れに荒れた茶席などを細工場にして、紙鳶を内職になされた向きも多くあった、之が近くは名古屋物産の一つに数えられて、随分盛んに輸出をする」とある。 〈静岡・東京・北海道・伊勢・播州・熊本・金沢・敦賀〉
(凧の種類)
名古屋の凧は普通品と高級品に分けられる。
・高級品は、ベカ、半振、虻、蝉、福助、(田舎紙鳶)*の6種類である。
・普通品は ・不破凧 ・扇凧 ・桝凧 ・八角凧 ・時計凧 ・鳥居凧、・烏凧、鳶、蜂凧、 ・奴凧 ・扇凧 ・軍人凧・茶壷凧など
11種類である。
・高級品は凧と断らなくても通用するが、普通品には紙鳶(しえん)=凧をつけて呼ぶ。
【田舎紙鳶=凧】
高級品として伝承されている高尚な凧は、煤竹を用いて精巧に作られているが、明治六年から七年頃に虻凧の変わり物として発生した田舎凧(ざいご凧)は、杉や檜などを用いて薄割りにして骨とし、軽く作られて弱い風で誰でも揚げられた。最もポピュラーな凧で、工芸品と言うべき他の高級品と比べて、田舎くさいという意味で田舎凧と呼ばれたのであろう。
(名古屋古流凧)
高級品として類別され、煤竹を用いて精巧に作られる工芸品と言うべき高尚な凧は、『名古屋古流凧』として伝承さている。
● ベカ【虻(あぶ)】 ●徳川3代将軍家光時代
寛永年間(1624~1643)今から約370年前には既に完成されていた『ベカ』は『名古屋古流凧の祖先』といわれている。
『ベカ』は、名古屋古流凧の類別の一つ。「ベカ」には、虻と蝉の形態があり、ベカ凧として伝承されている。
『ベカ』とは、空に揚がっているときの状態で、凧自体が左右にベカベカと終始振りながら揚がる形態の凧で、袖の大きさや深さによって振り方が異なる。
袖が小さいほど振りが細かく速くなる。うなりの音も振り方によって音色が変わる。
●半振(はんぶり)
●ベカと同じく寛永の頃から揚げられていたが非常に揚がりにくく、如何なる凧マニアも半振りを単独で揚げることは出来なかった。
●そのために「つなぎ」という方法用いていた。
これは扇凧を百間の糸で揚げ、50間の所に竹の環を付け、半振りの糸を通して揚げたのである。
●何とかして「つなぎ」でなく揚げたいと工夫を凝らし、明治6年に芳野町の深沢陳義が成功してあげた凧を『長翅』と呼んだ。
●長翅(ながはね)
●隠居
●虻(あぶ)
●ベカと同じく古い凧である。原型は慶安(1648~51)、承応(1652~54)頃、都築徳人が考案した。
俗に隠居虻ともいい、揚げやすい凧で広く人気がある。
●福助(ふくすけ)
●この凧の歴史は新しく明治13年頃今村の門人尾関が作る。
胴が丸くて重心の位置が高いので揚げにくい凧。
大型のウナリを付けるので、高いウナリ音をだし、大きく左右に体をふって揚がるので、この凧を好む方もいる。
●ベカ【蝉(せみ)】
●ベカとしての存在は文献等にあり、明治の初期、深沢陳義・都築某が作りあげたものであったが、実物がなく思考錯誤の結果、昭和に佐藤氏によって復元された蝉ベカである。
●蝉(せみ)
●大正から昭和初期のもので袖が柳の葉に似ているので、『柳袖』という。
『長翅』とほぼ同形の凧で安定性がよく非常に流行した凧である。
●ベカ・蝉(せみ
大正から昭和初期のもので、東山動物園の園長が
中日新聞に掲載されていたのを 椋木鉄男氏(名古屋友禅作家・凧の会員)が松田弥一郎氏に紹介し図面化(昭和五十六年春
分の日)そして、佐藤氏が凧を作り復元したもの。
●虻(あぶ)
●大正から昭和初期のもので袖が柳の葉に似ているので、、『柳袖』という。『長翅』とほぼ同形の凧で安定性がよく非常に流行した凧である。